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おんは清水エスパルスを応援しています

考え続けていること

仙台でちょっと話した「J1にいることを、もっと大事にした方が良い」ということを、ずっと考えている。

静岡市内、市外に関わらず、エスパルスのサポーターなら、万が一降格したとしても、また新たな目標に向かって応援していくだけだ、カテゴリは関係無い、というひとが大半だろう。

それはファンの愛だ。クラブはありがたく思うだろう。だが、ファンの勝手な言い分でもある。

エスパルスは、最終的には、静岡・清水のひとたちのものだ。

これは、清水に住む人だけが真のエスパルスサポーター、などということでは無い。そんな選民意識を言っているのでは無い。

富士山は、富士山を愛する全ての人のものであると同時に、静岡と山梨の財産である。富士山が嫌いな静岡県民がいたとしても、そのひとも気づかぬうちに富士山の恩恵を受けているのだ。エスパルスも同じ。エスパルスは、静岡のすべての人々の公共財なのだ。地域のひとびとに、某かの貢献をしているのだ。

そう考えたときに、地域の人々にとって、エスパルスの価値とは何だろうか。エスパルスがしている地域貢献とはなんだ。

地元出身の監督?地元出身の選手?たしかにそれは地域貢献だ。地域の人々が喜ぶことだ。だけど、それはJ1にいるからではないのか。

日本のトップリーグが地域にある。そのユースチームがある。日々、練習を見に行くことができる。たとえ自チームに代表選手がいなくても、対戦相手としてやってくる。少年団の子どもたちが、みんなで見に行く、そして帰りながら「あのプレーがすごかった」「みんながJリーガーになったら」などと話をする。それがどれだけ貴重なことか。

静岡には、あらゆるカテゴリのあらゆる目的のサッカーがある。だからこそ、エスパルスはJ1にいなければならない。唯一無二の存在として、静岡サッカーの頂点に君臨し続けなければならない。石にかじりついてでも、J1にいなければならない。

そうじゃないのか。

静岡の人々に問いたい。